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中高一貫教育を学習塾で実現
中高一貫の私学の人気が高まっています。公立中・高のカリキュラムでは大学受験に不利だから…という理由であることが多いようです。そこに在籍して いさえすれば万事OKということではないにしても、大学受験対策の環境としては確かに有利かも知れません。
公立中に通う子たちにとって最大の問題は、カリキュラムがユルユルだということです。昔よりも格段に希薄な内容を、実にゆっくりとやっています。しか も通知 票の成績は絶対評価のため見かけ上は非常に良いので、学力が不十分であってもなかなか自覚できません。
小中学校がユルくなったぶん高校にシワ寄せが行き、そのわりに(高校内容にも削除された項目はありますが)大学入試の難しさ自体はあまり変わらない ので、 公立中から進学した高校の3年間はどうしても過酷になります。だから高校生は科目選択の際に「易きにつく」傾向が顕著です。特に理科で物理を敬遠しがちに なる結果、数学の中の物理とクロスオーバーする部分の理解が浅くなりがちである…という事態を招いたりしています。
高校での学習がよほど順調にいかない限り、“全国区”の大学(たとえば北大)の入試で、首都圏や近畿の受験生と互角に渡り合うのは難しいのです。向 こうは 鍛え方が違いますから…。もともと抜群に高学力だとか、高校で一気に能力が開花したという場合は別として、普通の子が公立中の環境に3年間どっぷり漬かっ ていると、大学受験で大きな壁に突き当たるのは必至です。中学のペースに合わせていてはだめです。
そこで、中・高6年間の過ごし方として第一に心掛けるべきことは、<中学の3年間をユルユルにしない>こと。数学と英語だけでいいですから、どんど ん先取 りをしましょう。自主的“飛び級”をしていって、中3の夏ぐらいから高校内容に入ることをお勧めします。中学の成績は、高校入試で不利にならない程度にそ こそこ(実力相応に)取れていればいいです。
高校の学習は本格的な学問への入り口です。早くその世界に触れて、より高い視点を持ってほしい。それはもちろん高校入試にもプラスに作用します。そ
して高
校入学後も手綱を緩めずに、高2までに高校内容をひととおり終えることができれば、高3の1年間を受験の準備に充てることができるでしょう。
せっかく意欲も力もあるのにいつまでも中学レベルに留まっているのは、自らの成長を抑え込んでいるようなもの。神谷塾では、どの教科のどの部分をやるのも自由ですし、なんでも答えてあげます。中学のうちから大学での学問を志す人を応援します。
勉強の主体は誰なのか
誰か親切な大人がいて、手間暇かけて効率のよい授業や便利なプリントの用意をしてくれたとしましょう。その大人はそれが業務なのだし、料金を払う生 徒の側ではそれらは当然受けてしかるべきサービスである。そう考える方は多いと思います。ところで、用意された授業やプリントは果たして生徒のためになっ ているのでしょうか。"効率のよい"授業で上すべりにわかったような気がしても、家に帰った頃わからなくなってはいないでしょうか。"便利な"プリント は、テストが終わると消えてしまうような危うい情報を、一時保存するためだけのものではないでしょうか。
"効率のよい"授業に身を任せ、時に「わかりかた」まで教え込まれて、自分の力で知識を獲得する機会を奪われている子どもたち。いったい何のために 夜遅くま で努力しているのでしょう。<学ぶこと=教わること>だとすればその費用は教育費にくくられますが、学力をつけさせようとしてその大人のもとへ託した結 果、逆に子どもの依存心を高めるだけであったとしたら、いったい何のための費用なのでしょう。よしんばそれで希望の高校に合格したとしても、高校でのそれ なりに過酷な勉強で意欲を失ってしまうおそれはないでしょうか。
高校以降も勉強を続けていく子にとって、中学の3年間は<正統的な勉強法>を身につけるための準備期間という重要な意味をもちます。いろいろなところから 情報を集め、図や表に整理し、問題演習をし、理解不足の部分を抽出し、必要なら記憶する。知識というものは、自分自身で手間暇かけなければ身につきませ ん。誰か"親切な"大人が代わりに勉強して何かこしらえてくれても、その子の勉強になっているわけではないのです。目先の点数は上がって"効率"はいいか も知れませんが、深い理解に至るとは期待できません。
当塾の方法は変わっているのでしょう。教室はシンと静まりかえっていて、ときどき教師と生徒がやりとりするくらい。勉強は本人が自発的に始めなければなり
ませんし、教師の役割は、難しいところにさしかかっている生徒の相談に乗る(ヒントを出す、解説する、一緒にまとめをする)のが中心です。"勤勉"に通うのは構いませんが、勤勉であるなしは問いません。適切な勉強法でやっているかどうかを大切にします。それぞれが自分の決めた時間に来て、気の済むまで勉強し、疑問はすっきり解決して、少しずつでも知的に成長する。なるべく早く来て、遅くとも夜10時には家に帰る。こんな具合だからでしょうか、生徒と塾との「相性」がたいへん明確です。
子どもたちを「ものを考えられる大人」に育てるためには、ものごとにじっくり取り組む“体力”や、知識の獲得のしかたというものをしっかり身につけさせる必要があります。そのためにまず、現在の仕事である勉強に主体的に取り組ませたいのです。大人になってから取り組まざるを得ない問題に比べれば、きわめて単純でリスクもなく、「答」が用意されてもいます。このくらいのことで安直な方法をとっていてはいけません。最初から"効率よく"やろうなどと考えるのは間違っています。はじめは不器用でも、それを修正しながら、その子ならではの堅固な方法を育ててゆけばいいのではないでしょうか。それを支援したいと考えています。
数理講座−−「科学のこころ」を育てる
数理講座は、見かけは普通の授業です。ただし、中学校の2週間分くらいを約90分でやるので、中身は濃厚です。さらに、話の流れの中に中学校で習わない内容も出てきます。教わるほうは大変ですが、数学や理科の思考方法が鍛えられ、見通しも良くなるはずです。
高校は、成長した身体や頭脳があればこそ堪えられる、高度で、また多少は過酷な勉強をする場のはずでした。大学での専門教育に備えて"基礎体力"を養う場 でもありました。ところが今やこの国の政府は、小中学生のうちのありあまる時間にさせるべき勉強をさせず、限られた高校での時間に先送りし(ツケを回 し)、必然的に高校での勉強を幼稚化させています。したがって大学にもツケが回り、大学教養でかつての高校の勉強をやっていたりします。意欲にあふれる理 科系の学生は激減しているはずです。エネルギーや放射性物質、化学物質、食糧不足、ゴミ処理…といった人類全体の問題に科学的に対応できる人材が今後育た なければ、社会は必ず破綻します。
小中学校では2002年度から新指導要領による授業が始まり、特に数学や理科ではあちこちの虫食い状態(もともとあった)が顕著になりました。話の筋がか なりわかりにくくなっている箇所もあります。その手当てを中学のうちにしておくべきです。高校で本来できるはずの深い勉強をするために、中学生のうちにで きるだけきちんと学んでおくのです。高校では好きな勉強を好きなだけ(受験の準備も必要ですが)やる。そして、大学や大学院で開花させる。当塾では、こう いうイメージを持って中学生の授業をしています。だから学校で教える範囲などは(考慮はしますが)いくらでも逸脱しますし、より深い理解へ導く筋道がある のならそちらを選択します。
すべての子どもは科学をしっかり学ばなくてはなりません。理科系に進むのでなくとも、何らかの人生の課題に直面したとき、科学的に解決する方法を見いだす 力を養うために必要だからです。牛肉を食べるのは牛になるためではないですよね。「生活に必要ないから」とか「試験に出ないから」とか「それは学校ではや らないから」といった理由で深い勉強をしない(させない)のは誤りではないでしょうか。