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神谷塾からのメッセージ

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中学生のご父母様へ

生徒が書いたものを教師がチェックする必要(2010.6.18記)

神谷塾の小学部・中学部の「個別指導」では、生徒がワークブックで自習し、それに教師がマル・バツをつけ、バツのものは正解になるまで直す--という形式です。1回目はノーヒントで返し、それで直ればOK、直らなければ適宜ヒントを与えて、いよいよ厳しいときは全体の筋を示して、一応は自分で正解を書かせます。

答の正誤を知るだけなら、正解を渡しておけば生徒が自分でやるのではないか。それを教師がやってやる必要があるのか--という声をいただくことがありますし、私(神谷)もかつてはそう思っていて、神谷塾を始めた当初は生徒に任せきりにしていたこともあるのです。が、それではダメなんだと、そのうち気づきました。

私が雇われて教師の仕事を始めたある塾でも、毎回の小テストを回収してチェックすると、それは宝の山でした。完全に誤解している例、文字を間違えている例など、およそありがちな間違いのパターンのすべてがそこにあった気がします。それを、小テストだけでなく、生徒が書くものおよそすべてをチェックしようではないか--と今、やっているのです。中2の後半とか中3になってその子の仕事の質が信用できるレベルで安定してくると、社会科などは答合わせまでその子に全部預けることはありますが。

教師がマル付けをしてやることの効用の筆頭は、自分で正解を見ずに済む、ということでしょう。せっかく間違えて、それを修正するチャンスを得たというのに、正解を自分で見てしまったらそれきりです。そんなもったいないことはありませんね。

さて、私とかスタッフが、答の正誤以外に何を見ているかといいますと--

  • 文字が間違っていれば直させる。漢字で書くべきところを仮名で書いているものは漢字で書かせる。文字の形がおかしいものは直させる。必要最低限の綺麗さで書けない子には私が赤字で書いたものをなぞらせる。(文字の品質の基準は私の目です。いちおう教師としては標準だと自分では思っています)
  • 算数・数学の途中の式。やろうとしていることは合っていても、式の続け方が間違っていたり、負の数をカッコに入れるべきところで裸であったり、書くべき等号(=)が書いてなかったり、書いてはいけないところに等号が書いてあったりすれば、直させる。暗算でやるべきではないところを暗算でしていれば注意し、暗算でいけるところを筆算していたりすればやはり注意する。
  • 数学の証明の筋と文言。筋が通っていないのはもちろん誤り。(どこで教わってくるのか)ヘンな日本語を遣っているときは直させる。できるだけオーソドックスな数学作文ができるように。
  • 英語の文字。英語の苦手な生徒は十中八九文字がダメである。書けないか、書けてはいても読めない。あるいは英文がグニャグニャと波打っている。それを漢字や仮名と同様に直させる。驚くべきことに、英語が苦手だといって通い始める子のうち、かなりの割合が文字を直させるだけで成績が向上する。(“神谷再生工場”と自称しています)
  • 理科・社会の、正解が複数あるような用語問題や記述問題の正否。これらは、生徒が自分では判断ができないことが多い。例としては、たとえば有名なアンモニアの噴水実験で、「噴水が起こった理由」は「アンモニアが水に溶けやすいから」のみで、これに「空気より軽い」とか「水溶液がアルカリ性」を一緒に書くとバツ(ちなみに、「アンモニアの水溶液がアルカリ性」「アンモニアが水に溶けるとアルカリ性を示す」は正しいが「アンモニアはアルカリ性」はバツ)。理科では、それを書かなくてはいけないとか、それを書いてはいけないとか、いろいろと正解要件のうるさい記述問題が多い。私も指導していて時々うんざりします(笑)

--とまあ、思いつくままに書きました。こういったことを日常的に指摘されては直すという作業を続けるので、実は、神谷塾では日々これテスト対策。実戦的なのです。最終的には入試の採点者に読んでもらえるものを書くために、きわめて有効な指導方法ではないでしょうか。

私も執念深いといいますか、しつこいので(笑)、毎日のように、やれトメハネがおかしいの、途中式が書いてないのと言われていると、生徒もうんざりするのではないかと思うのですが、意外にも(笑)そうでもないらしい。もしかしたら、そんなことをこれまで注意されたことがなくて新鮮なのかも知れませんし、貴重な機会だと捉えてくれているのかも知れません。

中学のカリキュラムに無理がある。特に理科

「ゆとり教育」すなわち“低学力化”路線だとして批判の多かった以前の学習指導要領。 2012 年度からの現在の指導要領では大きく梶を切り、旧指導要領ではばっさり切り落とされていた「3割」の部分がおおむね復活しました。新しく加わった内容もありますし、削減前とは学年を変えて教える内容もあります。これは理科と数学で非常に顕著です。

理科の教師の端くれとしましては「すぐに復活させるくらいなら、どうして切ったんだ」と、今更ながら悔しくてなりません。もともと、そこを切ったら中学理科とは言い難いような貧弱なものになってしまうことがわかっていたのですからね。中学で<イオン>を教えていなかったのは先進国の中では日本くらいらしい。家庭生活で必要な知識である<電力>は、言葉は教えるのに計算の仕方は教えなかった。斜面上の運動は教えるのに、力の分解は教えなかった。力学的エネルギーの大小は問題にするのに、エネルギーや仕事の計算方法は教えなかった。誰が“主犯”なのかわかりませんが、「肝腎なことを教えない」のが方針だったのです。このカリキュラムで学ばねばならなかった中学生や元・中学生にはお気の毒としか言いようがありません。さぞ、つまらなかったことでしょう。

それが復活したのであれば結構なことじゃないか--と思われるかも知れませんが、事はそう簡単ではありません。時間数が絶対的に足りないのです。「3割削減」の少し前は、土曜の半ドンがありましたし、「総合学習」はありませんでした。教科の学習に(十分ではなかったかも知れませんが)今よりはよほど時間をかけていました。今では土曜が休みなのは当たり前になり、総合学習も(その是非はおくとして)なくなったわけではありません。理科や数学の授業時間数は大幅に増えますが、「3割削減」前の状態には戻らない。したがって「詰め込み」が発生するはずです。

まだあります。「3割削減」の前から教師をしている人も、旧指導要領に従って教えていた間に実験のコツとか指導の段取りを忘れているのではないでしょうか。最近採用された若い先生にとっては、復活した内容は初めて指導する内容であるわけで、どんなに優秀な人でも最初の数年は試行錯誤です。

ちなみに神谷塾では<イオン>も<仕事>も<電力>もしぶとく教えてきましたし、生徒もよくついてきました。「テストにも入試にも出ないんだが」と前置きしながらついて来てもらうのは楽ではありませんでしたが、教える必要があったからです。そして、今の時期にたまたま中学生だったからというので“損をさせたくない“と思ったからでした。「3割削減」となってもいつか復活するだろうから、そのときまで指導のスキルを失いたくない、という個人的都合もありましたけれど…。

結局、現在の指導要領での指導が軌道に乗るまでは「消化不良」状態が続くだろうというのが大方の見方です。現行指導要領が謳う学習内容を順調に習得することは、ひとにぎりの優秀な子を除けば非常に難しいものでしょう。そこで、塾の役割はこれまで以上に重くなっていると考えています。

勉強の主体は誰なのか

誰か親切な大人がいて、手間暇かけて効率のよい授業や便利なプリントを用意してくれたとしましょう。その大人はそれが業務なのだし、料金を払う生徒の側ではそれらは当然受けてしかるべきサービスである。そう考える方は多いと思います。ところで、用意された授業やプリントは果たして生徒のためになっているのでしょうか。“効率のよい”授業で上すべりにわかったような気になっても、家に帰った頃わからなくなってはいないでしょうか。“便利な“プリントは、テストが終わると消えてしまうような危うい情報を一時保存するだけのためのものではないでしょうか。

“効率のよい“授業に身を任せ、時に「わかりかた」まで教え込まれて、自分の力で知識を獲得する機会を奪われている子どもたち。いったい何のために夜遅くまで努力しているのでしょう。<学ぶこと=教わること>だとすればその費用は教育費にくくられますが、学力をつけさせようとしてその大人のもとへ託した結果、逆に子どもの依存心を高めるだけであったとしたら、いったい何のための費用なのでしょう。よしんばそれで希望の高校に合格したとしても、高校でのそれなりに過酷な勉強で意欲を失ってしまうおそれはないでしょうか。

高校以降も勉強を続けていく子にとって、中学の3年間は<正統的な勉強法>を身につけるための準備期間という重要な意味をもちます。いろいろなところから情報を集め、図や表に整理し、問題演習をし、理解不足の部分を抽出し、必要なら記憶する。知識というものは、自分自身で手間暇かけなければ身につきません。誰か“親切な“大人が代わりに勉強して何かこしらえてくれても、その子の勉強になっているわけではないのです。目先の点数は上がって“効率“はいいかも知れませんが、深い理解に至るとは期待できません。

当塾の方法は変わっているのでしょう。教室はシンと静まりかえっていて、ときどき教師と生徒がやりとりするくらい。勉強は本人が自発的に始めなければなりませんし、教師の役割は、難しいところにさしかかっている生徒の相談に乗る(ヒントを出す、解説する、一緒にまとめをする)のが中心です。“勤勉“に通うのは構いませんが、勤勉であるなしは問いません。適切な勉強法でやっているかどうかを大切にします。それぞれが自分の決めた時間に来て、気の済むまで勉強し、疑問はすっきり解決して、少しずつでも知的に成長する。なるべく早く来て、遅くとも夜 10 時には家に帰る。こんな具合だからでしょうか、生徒と塾との「相性」がたいへん明確です。

子どもたちを「ものを考えられる大人」に育てるためには、目の前の問題にじっくり取り組む“体力”や、知識の獲得のしかたというものをしっかり身につけさせる必要があります。そのためにまず、現在の仕事である勉強に主体的に取り組ませたいのです。大人になってから取り組まざるを得ない問題に比べれば、きわめて単純でリスクもなく、「答」が用意されてもいます。このくらいのことで安直な方法をとっていてはいけません。最初から“効率よく“やろうなどと考えるのは間違っています。はじめは不器用でも、それを修正しながら、その子ならではの堅固な方法を育ててゆけばいいのではないでしょうか。それを支援したいと考えています。

理科講座--「科学のこころ」を育てる

土曜にやっている理科講座。見かけは普通の授業ですが、理科であれば中学で2週間くらいかけて学んだことを約 90 分でやるので、中身は濃厚です。さらに、話の流れの中に中学校で習わない内容も出てきます。教わるほうは大変ですが、理科の思考方法が鍛えられ、見通しも良くなるはずです。

高校は、成長した身体や頭脳があればこそ堪えられる、高度で、また多少は過酷な勉強をする場のはずでした。大学での専門教育に備えて“基礎体力”を養う場でもありました。ところが今やこの国の政府は、小中学生のうちのありあまる時間にさせるべき勉強をさせず、限られた高校での時間に先送りし(ツケを回し)、必然的に高校での勉強を幼稚化させてきました。したがって大学にもツケが回り、大学教養でかつての高校の勉強をやっていたりします。意欲にあふれる理科系の学生は激減しているはずです。エネルギーや放射性物質、化学物質、食糧不足、ゴミ処理…といった人類全体の問題に科学的に対応できる人材が今後育たなければ、社会は必ず破綻するでしょう。

冒頭に書きましたように、中学校では 2012 年度から新指導要領が実施されます。特に数学や理科で顕著だったあちこちの虫食い状態はおそらく改善され、話の筋もわかりやすくなるに違いありませんが、生徒が消化不良を起こすのは目に見えています。ですから、中学のうちにその手当てをし、また依然として存在する学習内容の不備・不足を補う必要があります。高校で本来できるはずの深い勉強をするために、中学生のうちにできるだけきちんと学んでおくのです。高校では好きな勉強を好きなだけやる。そして、大学や大学院で開花させる。当塾では、こういうイメージを持って中学生の授業をしています。だから学校で教える範囲などは(考慮はしますが)いくらでも逸脱しますし、より深い理解へ導く筋道があるのならそちらを選択します。

すべての子どもは科学をしっかり学ばなくてはなりません。理科系に進むのでなくとも、何らかの人生の課題に直面したとき、科学的に解決する方法を見いだす力を養うために必要だからです。牛肉を食べるのは牛になるためではありませんね。「生活に必要ないから」とか「試験に出ないから」とか「それは学校ではやらないから」といった理由で深い勉強をしない(させない)のは誤りではないでしょうか。

勉強や受験に関することなら、どんなことでも結構です。

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