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おかしいぞ!中学のテスト

■「aはエイに決まっているではないか」

中学3年の生徒が数学の試験を持ってきて、採点のされ方に納得がいかない、見てほしいという。ひとつは素因数分解。「24を素因数分解せ よ」という問に対して、解答欄に「2×3」と書いた。正解なのだが1点減点されている。その理由は「24=」を左に書かなかった からなのだそうだ。もうひとつは平方根の問題。「√aを何と読むか」という問に対して、「ルートa」と書いた。なんともばかばかしい問題だが、答は正し い。ところが今度はなんと0点。「ルートエイ」なのだそうだ。aをエイ(エー)と読めないはずがないし、彼女らの使っている教育出版の教科書には「ルートa と読む」とそのまま書いてあるのに、である。

前者については、中学教師のやりそうなことだとは思った。一元一次方程式(未知数がひとつ、仮にxとする)の答を書くとき、解答欄に「x=」を書か ない と減点する教師がちらほら存在する。完全記述式なら必然的に「x=」は書くのだが、結果だけでいいのならそれがなくともわかりきったことである。24の素 因数分解にしても、その解答欄に書くのだからわかりきったことである。ところで、「x−aを因数分解せ よ」(因数分解は素因数分解と原理的に同じ操作であり、中3で一緒に学ぶ)という別の問題では「(x+a)(x−a)」だけでいいらしい。素因数分解で 「24=」を書かせるのなら、ここでも「x−a=」を書かなくてはならないことにはならないか。筋が通 らないではないか。そんなことに気が付かない(そんな簡単な理屈が通せない)者に数学を教える資格があるといえるだろうか。

彼女は抗議したのだそうだが、受け付けてもらえなかったという。教師たちにとっては自分で予め用意した採点基準が絶対であり、それに沿わないものは たと え宇宙の真理であっても不可。「採点ミスを認めると採点のやり直しになって仕事が増えるから」というばかげた心理も働くのだろう。地位を笠に着て生徒の正 当な主張に聞く耳を持たない教師…という図が頭に浮かぶ。相手が中学生だからと教師は丸め込もうとしているようだが、大人の理解も得られるとまで考えてい るのだろうか。

ここまで読まれた一般の方は「そんなばかな」と思われるであろう。それが自然だと思うのだが、2002年の夏に発生したできごとである。さらに言えば、 こんなことは珍しいことではないのである。脱サラして塾の教師を始めて8年目(2002年当時)になるが、まさに枚挙に暇がないとはこのことである。ここ で私の記憶の中から 少し披露してみたいと思う。

以下に紹介するのは、札幌市北区の<S中学>と<A中学>、西区の<K中学>と<M中学>の生徒らの試験の実物を見て知り得たものである。学校名・時 期・教員名まで記せば説得力を増すに違いないが、そこまではできなかったし、する必要もなさそうである。塾の業界では周知のこととも言えるためである。各 教科でこういう傾向がある、という示し方をするだけで、塾の先生であれば「それはうちの生徒も同じ目に遭っている」とご理解いただけるはずである。また、 ありのままでなく、よりわかりやすい内容と交換して組み立てたものもあるのをお断りしておく。末尾に[S][A][K][M]と記したものについては、各 中学でそのとおりのことがあったことを意味しており、それぞれに「類」を付したものは類似のできごとがあったという意味である。冒頭の例は[類M]であ る。なお、札幌市内の中学教員は数年で異動するわけであるから、ここに記すことが限られた中学でのできごとであるとはとうてい考えられない。札幌市内に 限ったこととも思えないのだが、いかがだろうか。

多少文章が大人げなく感情的になっていることを自覚している。それというのも、せっかくの努力を無に帰すようなしうちをされて目に涙を貯めていた生徒た ちの表情が私の眼前に浮かぶためである。また、私は「ばか」という下品な言葉は心して遣わぬようにしているのだが、本稿では繰り返し出てしまう。内容 がそうだからである。お許しいただきたい。

■全体にいえること

  1. 採点者が複数の場合、採点基準が不統一のことが珍しくない。同じ答なのに、ある教師は点を与え、ある教師は与えないということがしばしば起こ る。公教育の くせに、不公平もはなはだしい。採点基準は採点開始前にあってもよいが、採点を始めてみたら生徒の反応が予想と異なっていた…という場合、教師どうしがい ちいち協議しながら進めるべきもののはずである。それぐらいのことをなぜしないのか。忙しいから?…それが仕事なのでは?(森毅氏の本−−たとえば『数学 受験術指南』中公新書−−に書かれている京都大学の入試数学の採点の話が参考になる。)
  2. そもそも定期テストは生徒の学習の達成度なり理解度なりを確かめるのが目的なのではないか。すると基本的には「点を与える」方向で採点すべき であり、不備 を見つけてはペナルティを課してゆくというのは全く教育的でない。生徒が理解できているのが明らかな場合は不備(単に教師が指示したことが守れていないと い う程度の)を問わないか、あってもせいぜい減点とすべきである。この点、教育大附属札幌中で行われている「△をつけて減点はしない」方式は(出題内容は別 として)優れていると思われる。
  3. どの教科にも頻繁にあることに「余分な字を書いて×」というのがある。たとえば「日本国憲法」の「日本国」が空欄でそこを埋める、という場合 には解答欄に 「日本国」と書けばよいのだが、思わず「日本国憲法」と全部書いてしまって0点とされてしまうのである。こういう場面でためらいもなく×をつける感覚が、 同 じ教師の端くれとして私には理解できない。「“日本国憲法憲法”という言葉になるじゃないかと先生に言われた」と生徒から聞かされたことがあるが、あまり のばかばかしさに泣けてしまった。実にばかげている。低レベルである(そして、憲法を冒涜している。公務員のくせに)。「その2文字はいらないだろ」と言 われればすぐに「あっそうか」と直せる類のものは正解でいいではないか。何がいけないのか。生徒を虐めているだけではないか?
  4. よく勉強している生徒がその成果を反映させると“裏目に出る”ような採点では絶対にいけない。深い勉強をして何が悪いのか。全体に低レベルの 教師が高レベ ルの生徒を虐めている感じがする。全般に「正しいものは正しい」という姿勢が欠落しているようである。
  5. 明らかに教師が誤っているという場合も採点結果が動かないのはおかしい。教師だって間違う。だから勉強し続けねばならないし、勉強をやめた教 師は教師では ない。また、自分の学力に自信のない教師ほど、自分の誤りを認めたがらないのだろう。採点が誤っていたら自分の成長の好機と考えて、潔く改めるべきだ。 SSを出しているのなら算出しなおせばいい(どうせパソコンがやるのだろうから)。当然のことだと思うのだが。
  6. こういう採点がまかり通っているから、生徒はその教科の勉強意欲を失い、ひいては学校が荒れるのではないのか。少なくともその一因ではあるよ うに思われ る。

■国語■“お約束”を守ることに意義がある?

  1. 【書き抜き】書き抜きは原文のとおりに書く。ただし、仮名の部分を思わず漢字に直してしまった…という場合、採点はいかに?…なんとこれだけ で0点という 場合がある。これは間違いでもなんでもなく、漢字が正しければ不問とするか、せめて書き誤りとみなして(これもおかしいが)1点減点くらいが妥当であろ う。書き抜きは“写すだけ”なのだから、その箇所を見つけることこそが重要で、見つけられたのであればそれで可とすべきである。
  2. 【部分の書き抜き】「…を述べている部分の始めと終わりの五字ずつを書き抜け」といったタイプの出題はどうにも判断つきかねるケースがある。 出題者のひと りよがりではないかと思えることもある。一文節のちがいだけで誤りにされたりするので生徒は苦しむ。
  3. 【文末】理由を問われれば「から・ので・ため」でまとめる、指示語の内容は「こと」でまとめる、といった“お約束”がある。この末尾の不備 で、例えば配点 4点で2点も減点される場合があるが、およそ適切とは思えない。1点減点で十分である。
  4. 【俳句】切れ字を指摘させる問題では「教師が切れ字だといったところが切れ字」という現象がある。これは絶対におかしい。「ぞ・かな・けり」 あたりを切れ 字と指導するようだが、完了の助動詞「ぬ」の終止形とか、形容詞の終止形とか、他にも切れ字とされるべきものは多い(諸説あるらしい)。勉強を深めた子が こ れらを切れ字と答えると誤りとされてしまうようである。採点しているのは国語の教師のはずなので、その子がそれを切れ字とした理由は見当がつきそうなもの である。いったいどうなっているのだろう(専門が理科であっても、もっときちんと対応できる)。[S]
  5. 【矛盾】教育出版の中3の教科書では、近代俳句のところで坪内稔典氏の文章を併せて読む。そこには、俳句は「いろんな読み方ができる点で、言 葉の多義性を 豊かに発揮するといってよい」とある。 ところがテストになると「この俳句の鑑賞文として正しいのはどれか」などと問うているのを見たことがある。生徒をばかにしていないか。
  6. 【漢字】漢字の書き取りでトメやハネを厳しくみるのは良いことだと思う。その字の構造をきちんと示すのが書き取りの目的だからである。ただ し、何千もの漢 字について完璧に理解するのは教師でも難しいはず(私も30を過ぎて教師を始めてからいくつか自分の誤解に気づいた)なので、<自分が誤っている可能性> も絶えず考えるべきである。
      例:「弊害」の「弊」 あるいは 「貨幣」の「幣」
    これらは難しい字で、最初の左上の部分が8画であることを知っていて書く必要がある。ふたつに分かれている縦棒を「一発で書く」と誤解すると7画になる。 ところがなんと教師がこの誤解をしていて、正しく書いた子に×を、7画で書いた子を○とした。抗議した生徒もいたが、聞き入れられなかったそうである。お そるべきことである。[A]

■社会■エンピツを転がした者が“勝ち”

  1. 【歴史】説明文の誤りを指摘させるもの。
      例:承久の乱後、執権@北条時宗はA1232年にB御成敗式目を定めた。
    出題には2タイプあって、それぞれに○×をつければよいものと、誤りを正しい語句に改めさせるものとがある。前者では鉛筆を転がしても正答できるが、後者 では正しく理解していないとだめである。したがって後者のタイプに対応できる生徒のほうがしっかり勉強していると言える。さて上の例で、前者であれば@が ×となるが、これを<気の利いた、よく勉強している>生徒が@の解答欄に北条泰時と書いたとする。採点はいかに?なんと私の生徒の答は誤りとされた。「○ か×をつけよ」という指示に従わなかったからだそうであるが、この場合生徒の何を試そうとしているのだろう。[類A]
  2. 【歴史】前後関係がやや微妙で中学生には難しいかも知れない箇所がある。そこを敢えて出題する必要はなさそうに思われるが、実際は出題があ り、正解は微妙 ながら採点は一方的だったりするので生徒には辛い。
      例:足利尊氏が征夷大将軍に任命されてから徳川家康が征夷大将軍に任命されるまで(1338年〜1603年)のできごとをすべて選べ。
        ア.鎌倉幕府の滅亡 イ.応仁の乱 ウ.織田信長の自決 エ.南北朝の内乱 オ.正長の土一揆
    上の期間から多少はみだしていてもいいのであれば正答はイ・ウ・エ・オとなる。ただし、エの南北朝の内乱の始まりは1336年であるから、上の範囲からは アタマが少しはみ出していて、選択肢エを「南北朝の内乱の始まり」と見た生徒は当然迷うことになる。果たして採点はエを入れねば誤りとなっていたが、出題 意図が読み取りにくいことが試験後にでもわかれば、エを除いたのも正答とすべきではないか。
  3. 【全般に】教科書を丸暗記でもしていなければ書けそうもない記述問題がある。書けてしまう子もいるのだが、そんなに教科書の文章は大切なのだ ろうか。この 手の出題が増えると「教科書を丸暗記しなくては」という強迫観念にとらわれて挫折する子も出てくるのではないか。また、こんなふうだから 「社会は結局教科書の暗記だ」などという不条理な発想が生まれるのである。

■理科■理科教師の使命のひとつは<科学の喜び>を伝えることではないのか

  1. 【物理】鏡の向こうに見えるのは、実体がないので「虚像」であるし、たとえば『理化学辞典』にもその旨の記載がある。ところが教科書がそれを 単に「像」と しか説明していなかったために、「虚像」と書いた生徒は誤りとされてしまった。深い勉強が裏目に出た例。いや、これは大して深くもなんともない、ごく当た り前のことだが、教師のレベルが低くて生徒がそれを越えてしまったということである。理科の教師は真理にのみ従うべきであって、お粗末な記述しかない教科 書などに従ってはならない。[S]
  2. 【化学】「うすい塩酸」という表現がある。塩酸は塩化水素の水溶液なので、もともと「濃硫酸」のような意味の「濃い塩酸」なるものは存在しな いから、「塩 酸」といえばわかる。であるのに、問題文に「うすい」 とあるばかりに解答にも「うすい」と書かねば誤りだそうである。了見が狭いというべきか。[S]
  3. 【化学】炭酸水素ナトリウムの分解の問題。炭酸水素ナトリウムは水に溶けにくく弱アルカリ性で、フェノールフタレイン液では「ほとんど変化し ない」「わず かに赤く変化する」というのが正確である。ところが教師によっては「全く変化なし」のみが正解となるようである。これが科学だろうか。[A]
  4. 【化学】塩化コバルト紙が水に触れると何色になるか。「桃色」「ピンク色」「うすい赤色」「赤色」といろいろな表現がありうるが、教師によっ ては「うすい 赤色」以外は認めないというケースがある。これが科学だろうか。[A]
  5. 【化学】食塩水を電気分解すると何という気体が発生するか。水溶液中の塩化物イオンは陽極へ引き寄せられて電子を奪われ塩素原子となり、それ が2つ結合し て塩素分子が発生する。ナトリウムイオンは陰極に引き寄せられるが、イオン化傾向が大きいのでイオンのままである。したがって陰極から供給される電子は水 分子が代わりに受け取り、水酸化物イオンと水素分子が生ずる。したがって気体として塩素と水素が発生し、陽極と陰極との間に素焼板の隔壁を設けておけば、 陰極側には水酸化ナトリウム水溶液ができる。水酸化ナトリウムの製法として知られるものである。さて、冒頭の問題の“正解”は塩素のみであった。最悪、 出題してしまってからでもいいから「ちょっと調べてみる」くらいのことを、この理科教師はしなかったことになる。勉強しない教師は教師ではない。[A]
  6. 【化学】「アンモニアはアルカリか」という出題。中学の教科書では「水に溶けると水酸化物イオンとなるOHをもつもの」と定義されているので 誤りだそうで ある。しかし高校化学ならば「塩基」は「水溶液中でOHを生じるもの」、アルカリは「水溶性の塩基」と定義するので、正しい。ま た「アルカリとは要するに水溶液がアルカリ性を示すものだ」という理解で通常全く問題ないはずである。高校なら正解で、中学では誤りになる?重要事項の理 解については中学・高校と一貫性があるべきであって、境目があるのは絶対におかしい。[K]
  7. 【生物】顕微鏡の問題で「倍率の高いものほど接眼レンズは短く、対物レンズは長い」ことを問うもの。この知識は果たして必要なのだろうか。光 学的な背景を 教えるわけでもないので、ただの知識でしかないものである。レンズの倍率はそれに記してあるので実用上全く問題はないはずである。[A]
  8. 【地学】マグニチュードが1増えると地震のエネルギーは約30倍となる。では2増えると何倍か。教師の正解は(信じがたいことだが)「約 900倍」で、生徒の答 えも同じ。双方たまたま一致したので不運な目に遭う生徒はいなかったようだが、誤りである。地震学をちょっとかじった人には明らかなように、ピッタリ 1000倍なのである。マグニチュードは2増えるとちょうど1000倍となる算式で求めるためである。約30倍というのは1000の平方根ということで、 <中途半端な理解>の教師が、難しくしたつもりか<思いつき>で出題するとこうなる。生徒を誤った方向に導いてしまうのである。ところで、早熟の<地震学 少年>なり<地震学少女>がズバリ1000倍と答えていたらどうなっていただろうか。私には結果が見える気がする。[A]
  9. 【地学】天気図記号を書かせる問題。「晴れ」は○に縦棒であるが、天気図中に書き込む場合は縦棒を経線と平行にしなくてはならず、この点が守られていない場合は誤りとされることがある。確かに厳密さは欠くわけであるが、ちょいと手元が狂えば縦棒は曲がるであろうし、誤りとするほどのことでもないように思われるのだが、いかがだろうか。出題の主眼はおそらく「晴れは○に縦棒で、◎ではない」ことなのである。[A]
  10. こういう採点をしていると、理科嫌いは増えるであろう。私の経験では、A中では特に多かった。その理科教師を嫌いになるのは構わないが、理科 という教科は 好きでいてほしい…と願うばかりである。
  11. <3年周期で全く同じ問題が出る>という現象がある。これは、特定の教師がある学年の理科を3年間通して指導するため、3年周期で1年生に降 りてくるため である。その問題が特に気に入っているというほどの問題でもなく(失礼ながら、本当にそうなのだ)、安直な方法を採っているだけである。せめて数字くらい 変えろよと言いたくもなるが、完全に3年前のコピーだったりするのである。これでは、過去問を配布する一部の塾の生徒、あるいは3歳上の兄姉がいる生徒が 不当に有利である。もっとマジメに仕事しろと言いたい。レベルが低すぎて付き合いきれないという感想も持つ。生徒がかわいそうすぎる。[S]

■数学■数学教師の使命のひとつは<数学の楽しさ>を伝えることである

  1. 【平方根】根号のはじめをチョイと曲げないと誤り(!)という教師がいるそうである。
  2. 【二次方程式】異なる2つの解α,βがある場合、中学数学の教科書では「x=α,x=β」という表記になっている。が、これは面倒だし誤解も 起こらないの で高校では「x=α,β」と書く。M中で後者の方式で書いた生徒が減点されたことがあるのだが、K中ではこんなことで減点された生徒はいなかった。という か、それが当たり前である。

■英語■英語の教師は日本語に気配りなし?

  1. 【ピリオド】平叙文の末尾にはピリオドを付けるものではあるが、付け忘れるとなぜ0点なのだろうか。全く書いてなくても0点、ピリオド以外は 完全でも0 点。これでは生徒の理解を確かめていることにはならない。虐めているだけである。
  2. 【マル】翻って、日本語の末尾には句点を付けるのが普通であるが、こちらは全く不問に付されるのは片手落ちなのではないか。英語の試験だとは いえ、日本語 での表記を求めているのではないのか。これを不問とするなら、ピリオドだってどうでもよさそうなものである。
  3. 【ヘボン式】日本語のローマ字表記が教科書でヘボン式になっているのはおかしいとは思う。が、“アメリカの51番目の州”であってみれば当然のこ とともいえな くもない。ただし、試験で訓令式(=日本語の正書法)を認めないというのならばそれは間違っている。スシはsusiでいいし、テンプラはtenpuraで いいはずである。ついでにいうと「自分の名前をどう書くか」はその子や親が判断することだし、「姓が先か名が先か」も同様である。
  4. 【3の補足】英語を専門とする教師にこの点を意識させることは非常に困難かも知れない。<英語の技術>を生きる術として選択したということ は、「一定年齢 になるまで英語にまつわる現象の一切にさして疑問を抱かなかった」ということの何よりの証拠だからである。彼らにとっては英語(正確にはアメリカ合衆国の 言語?)が世界語であるのは当然であり、日本語はヘボン式ローマ字で表記するのが当然で、訓令式(日本式)は単に「時代遅れで不便(アメリカ人などにとっ て…なのだが)な表記法だ」という認識しかない可能性がある。

■おわりに

こういったテストが続くと、生徒は教師不信・学校不信になるだろう(冒頭のM中の彼女はそうなっていたようだ)。私はそれは構わないのだが、勉強まで嫌 いになられては無念である。「私の大切な生徒をそんなばかげた試験や採点で苦しめてくれるな」というのが本稿を書いた動機である。

2002年度から絶対評価が導入された。以前の相対評価(試験の校内順位で事実上評定が決まっていた)では、中学というたいした意味もない狭い集団の中 での位置づけに生徒が一喜一憂させられており、それに便乗した学習塾をはびこらせもした。その点で絶対評価に変わったこと自体は結構なことである。しか し、評価する教師がこんなレベルでは、評価される生徒はたまったものではない。それが高校入試では学習点として合否を左右することにもなってしまうのだ。

ここに書いたことは、塾の関係者の方であれば旧来からご承知のことが多いであろう。しかし、こういった実例が公にされたのを見る機会はなかった。いつか まとめて世に提示したいと思っていたら、自分でウェブサイトを開設することにしたので、掲載してしまったしだいである。

なお、これをご覧になった方で「自分はこんな目に遭ったことがある」「こんな例を知っている」という方がおられましたら、ぜひこちらまでお知らせください。ここに掲載できそうなものは許可を いただいた上で(もちろん匿名で)追加させていいただきます。