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7月17日~7月31日

中学部夏期講習の日程を折り返した。中3の授業で毎年使っている数学の教材が改訂されたのと理科と社会の教材は新規のものを採用したのとで準備がなかなか大変。それで理科・社会は毎日の昼休みの間に、数学は朝目覚めてから朝食までの時間に、と“時間割”を決めてやっている。どんなに遅く寝ても朝は5時半頃に目が覚めてしまう(笑)ので数学の授業1回分くらいの予習はできるのである。
某日 「午前十時の映画祭」で『ライムライト』を観る。1952年アメリカ。チャールズ=チャップリンが監督・脚本・製作・主演・音楽を担当。
 かつてイギリス一と言われた道化師のカルヴェロ(チャップリン)は、今はすっかり落ちぶれて酒浸りの日々を送っていた。ある日、自殺を企て意識不明で倒れていたテリー(クレア=ブルーム)という踊り子を助ける。テリーは精神的な傷から足がマヒし、失望して生きる気力を無くしていたのだった。彼女をカルヴェロは献身的に助け、もう一度舞台に立たせる。やがて本来の才能を開花させたテリーは新作バレエの第一ダンサーに抜擢される。一方カルヴェロはカムバックに失敗し、逆にテリーに励まされる始末。テリーは作曲家のネヴィルに求愛されるが、彼女の想いはカルヴェロにあり、テリーはカルヴェロに結婚を申し込む。カルヴェロは年齢差や自らの境遇とテリーの順風満帆の現在を比べて結婚話を一蹴し、彼女の元を離れ辻音楽師へと落ちぶれてゆく。ある日偶然カルヴェロに再会したテリーは、もう一度彼を舞台に立たせるように手筈を調える。再起の舞台で熱演するカルヴェロに観客は惜しみない拍手を送る。カルヴェロは熱演のあまり、予定よりも勢いよく舞台から転落し、瀕死の状態に陥る。そのまま袖に運ばれ、テリーが舞台で脚光を浴びる姿を見ながらカルヴェロは息を引取るのだった。
 「ライムライト」とは電球が普及する以前に舞台照明に使われていた器具を指すが、「名声」という意味もある。かつてカルヴェロを照らしたライムライトが今はテリーを照らしている、ということであろうか。
 美しくも哀しいあの有名な主題曲がチャップリンの作曲だということを、迂闊にもこの日まで知らなかった。大学時代の楽団仲間のY本くんがトロンボーンでよく吹いていたものである。
 チャップリンは劇中でも見事なバイオリンを披露している(楽器は左利き用の特注品だそうだ)。カルヴェロの恋敵となるネヴィルを演じたのはチャップリンの息子のシドニー=チャップリン。また、映画の冒頭に出てくる少年少女3人もチャップリンの息子・娘。
某日 「午前十時の映画祭」で『チャップリンの独裁者』を観る。1940年アメリカ。チャップリンが監督・脚本・製作・主演。ヒトラーとナチズムに対して非常に大胆に非難と風刺をしつつ、ヨーロッパにおけるユダヤ人の苦況をコミカルながらも生々しく描いている。公開当時のアメリカはまだナチスとの戦争に関わっていなかったものの、様々な圧力がかかったらしい。
 チャップリンとヒトラーは容姿が似ているばかりか生年月日も近い。チャップリンは暴走するヒトラーを笑い者にしてみたかったそうだが、ヒトラーという魅力的な役を演じてみたかったということでもあるらしい。一方のヒトラーもチャップリンの四角いヒゲを真似していたという話があり、この『独裁者』も2度観ているそうである(感想は残されていない)。
 チャップリンの一人二役。一方はトメニア国の独裁者アデノイド=ヒンケル、もう一方はヒンケルに瓜二つのユダヤ人理髪師。トメニア国ではユダヤ人への弾圧が凄まじくなり、第一次世界大戦での負傷による記憶喪失のせいもあって軍隊に反抗的な理髪師チャップリンは逃亡の身となる。彼と同じユダヤ人居住区に住む恋人ハンナ(ポーレット=ゴダード)は居住区の仲間とともに隣国オストリッチへ亡命するが、そこにもトメニアの軍隊が侵攻する。ちょうどその折、逃亡中のチャップリンは偶然ヒンケルと立場が入れ替わってしまい、兵士たちを前に演説をする羽目になる。それはトメニアとオストリッチにラジオ放送もされる。そこで彼は不戦と平和を訴える一世一代の大演説を行い、兵士らにも熱狂的に受け入れられ、ハンナら亡命中のユダヤ人にも一縷の光明を与えるのだった。(その演説を紹介したページがありました。こちらです)
 この大演説を入れたいために一度仕上がっていたラストシーンを撮り直したというだけあって、本作を観るのは何度めかになるが毎回つくづく感動的である。このほか有名な「髭剃りのシーン」(ブラームス「ハンガリア舞曲第1番」にのせて)や「地球儀と戯れるヒンケル」など楽しい場面が盛り沢山で、見応えがあった。
某日 テレビの地上波がデジタル化。経済的な理由などでテレビを見られなくなる人が少なからずおり、アナログの電波は届いているのにデジタルになると届かなくなるという地域があり、緊急地震速報も3秒も遅れる(!)という技術の進歩でもなんでもなさそうなシステム切り替えを本当にやった。アナログ放送で何の不自由もないうえに、デジタル化するとかえって不自由化するのである。いろいろ問題がありそうなのでさしあたり延期になるだろうと私は踏んでいたのであるが、読みが違った。いったいテレビ放送というのは誰のためにあるのかと首をかしげる。(きっとメーカーと業界のためなのであろう)
 我が家ではアンテナはOKだが、アマタに来ていたのとテレビの購入が面倒だったので現在はやめている。このままテレビを見ない暮らしになるかも知れない。もともとニュースと野球くらいしか見ていなかったので、あまり違和感がないし、当座は不自由を感じない。こういう家庭が全国に少なからずあるのではなかろうか。
某日 作家の小松左京氏が死去。享年80歳。中学時代に『日本沈没』を読み、高校時代に『復活の日』を読んだ私は、前者の田所、後者の吉住というタイプの全然違う2人の地球物理学者に惚れ込んだ。地球物理学とはなんと壮大でもしかしたら人類への貢献度も高い学問なのだろうと心を奪われた。もう少し正直に言うと「地球物理学者はカッコいい」と思ったのである。ミーハーである。いくつかの大学の理学部で地球物理学を専攻できるとわかると、もはや地球物理学以外の学問は考えられず、地球物理学科のない大学の受験は考えられなくなった。そんなわけで2年も浪人してしまうし、やっとのことで北大で地球物理学を始めてみたらそれで気が済んでしまい(笑)学問への情熱は“沈静化”して、卒業するのがやっとというテイタラクであった。それでも専門を生かした仕事をしようと地質調査の会社に就職したがそこでの環境にとうとう馴染めず、退職して塾屋となるに至るわけである。他の学問(電気電子とか)を専攻していてもやっぱりサラリーマンを辞めて塾屋をやっていたかも知れないが、いちおう現在の私は地球物理学をバックグラウンドとしており、それはひとえに小松左京氏の小説のおかげである。ありがとうございました。合掌。
某日 久しぶりにカラオケに行って最近おぼえた数曲を練習。以前ひるめしの時に喫茶店で流れていた徳永英明版の「ハナミズキ」がいいなと思い、車の中でオリジナル(一青窈の)を聴いていた。それでまずオリジナルのほうで歌ってみてから徳永版も試す。オリジナルは最後の部分で歌詞のカブリがあって独唱するには不自由だが、徳永版はそのカブリを外してあるので便利。キーもほぼそのままで歌える。またトドメのリフレインでは予期せず半音上がったりもしてスリリングだ(笑)
 「ハナミズキ」のほか「瞳はダイアモンド」「恋に落ちて」「駅」「卒業写真」「喝采」「時代」などの徳永版も試す。どれもこれもアレンジが凝っていて、久しぶりに「知っている曲なのに歌い出しの音がわからない」という経験をした。それで最近は車の中で徳永のCDを聴いている。
 

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